ある事ない事書きなぐり

適当にやっています。

面白さとは2

DK_alpha2008-11-29

なかなか面白い話題があったので長文。
最近、自分の思っている事を文章化してこれからゲームを作りたいという人たちに伝えておく必要があると感じています。


・shimobayashiの日記 2008年 11月 28日
http://d.hatena.ne.jp/shimobayashi/20081128


プレイヤーが求める面白さっていうのは実はそんなに高度なものではないのではないか?
シチュエーションによって面白さは変わる、という点について語られています。
非常にいい議題なので、僕の回答を書いておこうと思います。


この話は前提として、そもそも面白いとはどういう事なのか?つまらないとはどういう事なのか?という点を解決しないとならないでしょう。
面白いとはなにか?を解決せずに、求めている面白さについて語っても、そもそもそれは何であるのかが分からない以上、答えは見つからないでしょう。


前回の記事で作業とその達成感である、僕は考えている記事を書きました
・ゲームと仕事は構造的に同じ
http://d.hatena.ne.jp/DK_alpha/20081127


また世の中に存在するいろいろな面白さ、というのは必ず1つの「面白い」という感情に集約されると考えている、という記事も以前に書きましたので、覚えている方もいるかと思います。
・面白さとはなにか?
http://d.hatena.ne.jp/DK_alpha/20081125


これらを踏まえた上で、僕の中のこの先にある部分の文章化をしておきたいと思います。
作業には必ず3つの要素が存在します。
・動機
・目的
・結果
この3つが満たされた場合に、面白いと感じるのであると考えています。
これは世の中の面白いと言われているものすべてに当てはまると確信をしています。


具体例で考えてみましょう。
例1:コンピュータゲーム内で見えるけどとれないアイテムがある。
動機:クリアするためにきっと有利なものにあるに違いない。何があるのか?という好奇心
目的:ゲームのクリアという貫通目標のために入手したい、知りたい。
結果:強い武器が手に入った事でクリアが楽になる。他人の知らない情報を得たという高揚感を得た。


例2:ホラー映画を見に行く
動機:自分の体験したことのないシチュエーションでの恐怖を手軽に味わいたい。
目的:恐怖を味わい、その情報を他人と共有したい。
結果:映画内で主人公に感情移入をし恐怖を味わう。その感想で他人と盛り上がる事ができた。


例2:音楽CDを聴く
動機:自分のお気に入りの人たちが次にどんな新曲をだすのか興味がある。
目的:自分のお気に入りの人たち新作を聞く、その情報を他人と共有したい。
結果:新曲を聴き、自分の求めているものから外れていなかった。その感想で他人と盛り上がる事ができた。


それぞれの状況で、何が動機となり目的となり、どんな結果を期待するのかはその人の環境によって左右しますし、人それぞれの3要素が存在すると思います。
ですが、この3要素を満たしたときに面白いという感情が発生するという構造は、コンピュータゲーム、現実世界問わずどの事象に対しても等しく同じなのではないでしょうか?

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コンピュータゲームの面白さについて、グラフィックの進化が面白さではないとか、昔のゲームの方がアイディアがあって面白かったなどという議論を見かけることがあります。
ではこう考えることはできないでしょうか?


グラフィックの進化によって、次にどんな絵が出てくるのか、という動機でゲームを進めるという目的を持ち、その結果グラフィックを見ることができた。
斬新なルールを遊んでみたいという動機でゲームを遊ぶという目的を持ち、その結果そのルールを味わう事ができた。
好きなキャラクターを操作してみたい感情移入してみたいという動機で、ゲームを遊ぶという動機を持ち、感情移入やその世界観を知ることができた。


これらのどれもが、3要素を満ている為に感じする面白さであるとするなら、誰もが強調する「面白さ」とは逆に全部間違っていないのです。
誰もが言う事すべてが正しいのであれば、上の議論に決着がつかないのは当然です。


では逆にこう考える事はできないでしょうか?
これらが組み合わさった時に、面白さの大小が変化し、ターゲットが変化する違いでしかないのではないか?

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面白さとは決してゲーム内のルールのみで発生するものではないのです。
コンピュータゲームであっても、実世界の我々の日常で面白いと感じた事であっても、面白いと感じる構造的に何の違いもないのです。

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本題にもどると、あきまさのいうつまらなくてもいいのではないか?というのはおそらくコンピュタゲームのルールの事を指しているのではないかと思います。


作る側は動機持つための目的を与える、作成する必要があるわけです。
上で書いた様に、何を3要素とするのかは人それぞれなので、その中からターゲットをきめて作らなくてはいけません。
ターゲットが、コンピュータゲームのルールを目的としていないのではれば、コンピュータゲーム内のルールが適切でなくとも3要素を満たした時点で面白く感じる、というそれだけのことなのではないでしょうか?
その大小、ターゲットの幅を増やす方法として企業力がある、という事ではないのかと考えています。

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何を目的としている人達に、どんな動機を持たせるのか、それを決めて作成し適切な結果を与える、それが満たせるのか、満たせないのか、という事だと僕は考えています。
シチュエーションも含めて、遊ぶ動機に対して、正しい結果が行われるならそれは面白いという事であり、不適切な結果となるなら、つまらないという事になる。

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当然適切な結果を出すためには、理由に基づいた値で要素が構成されている必要があります。
人が心地よいと感じる適切な値があって、初めて動機へ、結果への期待値が増して(強く)いくなっいくのは言うまでもありません。

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想定したシチュエーションで想定している人たちが遊ぶ動機を持てる作品を作る事が、楽しさ、娯楽を作るうえで必要なのだと考えています。
自分の動機とは違う部分でで要素が満たされ面白いと感じたなら、つまらなくても良いのでは?という疑問もおきるかもしれません。
でもそれらは意図されて作られた面白さであり、それが意図されて作成されている事に気がついていないだけなのではないか?という問いを最後に行って元記事への僕の回答にしたいと思います。

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ミラーズエッジレビュー記事
・【ミラーズエッジ】未来の世界で未知のスピード感を体験
http://japan.gamespot.com/ps3/reviews/story/0,3800075522,20384050-10377370p,00.htm
走る事を全面にだしたミラーズエッジのレビューです。
360では12月に発売する予定だったと思います。
内容ではトライアンドエラーの繰り返しによって、立ち止まることが多いという点が強調されています。
また敵と戦うシーンも走る、駆け抜けるという点とうまくマッチしているのかという疑問もかかれています。

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ソニックザヘッジホッグでは後半面にいくにつれて、障害物が多く駆け抜ける事が難しくなっていきます。
また自動で操作される場面も増えていき、走っているから走らされていくという感覚を受ける事が多くなっていくという事も遊んだ事のある人なら思い当たる節があると思います。


では早く走る事を持続するゲームだったとしたら、どうなっていたのでしょうか?
ある一定の速度以上の場合、無敵になるなどで敵という存在を無視でき評価が与えられるといった、速度によって有利になる要素を組み合わせる事は有効でないかと考えています。


早く走ることによってプレイヤーに有利な事が起きるのであれば、走る動機も今よりも強いものになったことでしょう。


走れなかったときのペナルティがリトライである必要があるのでしょうか?
その点で少し話しは変わりますはミス時のリングを回収すれば死なない、という仕組みはよかったと思います。


実際にプレイしていませんが、ミラーズエッジのレビューは的を得ていると感じています。
ミスが発生したさいにおきるリカバリー性を考慮する事によって大きく違うゲームとなったのではないかと感じます。

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バーンアウトリベンジでは事故が起きた直後から、その破片を操作し敵車にぶつけることでペナルティを無しとするリカバリ要素を採用していました。
また、グレートラグタイムショーやウルフファングなどは、自機がミスした後パイロットが地面を走り新しい乗り物に乗る事で、ペナルティをペナルティとせず、乗り物を探す楽しみを与えた事は特筆すべき要素です。

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ペナルティとリカバリ性によって、ゲームルールが変化し、それに期待する面白さを表現する事ができます。
その点からも、ペナルティをどう表現するべきだったのか、という事を考察してみるのも面白いと思います。

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画像は菜月さんです。