ある事ない事書きなぐり

適当にやっています。

道具を使う場所

プレイヤーが使える道具を用意するだけでは意味が無い。
道具は道具を使える場所を用意してこそ利用価値がでるからだ。
例えば、ドアを開ける鍵を持っていたとしよう。
しかしドアは存在しない。鍵を使うところは無い。
この場合、鍵という道具はプレイヤーの選択肢を無駄に広げる不要なものとなってしまう。


「偶然」という言葉を使って物を作ろうとする人は、用意した道具の使い方を最初に自分で発見した、という部分が「偶然」なだけである事に気がつくべきだ。
そこで気がついた道具の使い方を、今度は必然的に誘導してやらなくてはいけない。
正しい道具の使い方を教えることで、プレイヤーは解法を見つける事に専念できる。


プレイヤーが偶然に面白さを発見して遊ぶからいい、と言う考えで面白いものが作れるはずは無い。
面白いものには面白い理由があるし、つまらないものにはつまらない理由がある。
そこに偶然は存在しない。必ず理由が存在する。
10個の道具を用意して好きなようにやれ、というのは決して遊び方に自由度があるわけではない。
それは答えを用意できなかっただけに過ぎない。


説明書の無い道具を渡して、この道具にはどんな使い道があるのか自分で考えろ、と言うのは自由と言うのだろうか?
これを偶然、面白さが発見されるというのだろうか。
これは単に説明が不足してるだけあって、用意する側の作業ミスでしかない。


面白さとは達成した時に感じるものだ。
用意された答えをプレイヤーは模索して、探しあて解いていく。
その答えは1つである必要は無い。複数の答えが合っていいだろう。
時には作者の想定していない答えを出されるかもしれないが、想定する答えを用意すること、考える事は必要だ。
勘違いしてはいけない、道具だけでは価値はない。
道具は使う場所があって始めて価値が生まれる。
店の存在しない金はただの金属に過ぎない。使えないものは使えない。
そこに偶然は存在しない。


道具のアイディアが良いか悪いかは、道具を思いついた時点では判断できない。
それを使える場所を用意できるかで、始めて判断ができる。
問題に対してそれを解決するための物が道具であり、無から道具は生まれない。
道具そのものを伝える事に意味は無い。
問題を明確にするし、その上でなぜこの道具を思いついたのかを伝える事が必要だ。


例えばガレッガの面白さは偶然ではない。
最初、作者が偶然見つけた面白さを偶然から必然にするために追求した結果できあがったものだ。
何が面白いのかもわからずにリリースされたものではない。
シルバーガンの面白さも偶然ではない。
これらは誘導が不完全なだけだ。
誘導が不完全なものをみて「やりこんだから面白い、だから名作」と言うのは作品として失敗してる事を認識するべき。
自分が偶然見つけた面白さをプレイヤーに感じさせるために、今度は必然的に面白くする方法を考える必要がある、という事を解ってもらいたい。


で、昨日何してたっけ?
あぁそう、ギャルズパニックS2。
敵が開いた部分を貫通して突進してくるのはズルイと思った。
そして、ボスを囲んで一気に開ける必要はないんじゃないだろうかとも思った。
開くなら、敵の攻撃を耐えながら、アイテムを取ると周辺を一気に開けるとか。下の絵を開いていくと面積に応じてボスが強くなうようで、なんだかなーという感じ。


まぁあとは家探しとか、年末の予定とか。
仕事のグチを聞いたりとか、そんな一日。


プレゼント。
Wii欲しい!

なんか動画を貼るっぽいので適当に検索しました。名場面です。

はてなダイアリーブック欲しい!