技術として確立する難しさ
最近の日記の内容に液さんが日記でレスしてくれました。
・mixi 雑記、アマチュアの限界
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1102794862&owner_id=1740576
振り返ってみると、確かに90年代は「素人だからこそ出せる面白さを商品化」という実験が行われていたのでしょう。
先日の日記に書いた「鈴木爆発」「ウゴウゴルーガ」もまさにその時期に生み出されたものでした。
これらの実験によって一風変わった物が生み出されたわけですが、技術として確立できなかった事が後に続かなかった、という考察が非常に的を得ていると僕もそう思います。
レスの中にある、「それらは素人芸としてひとつのジャンルになる可能性は高いが、百年レベルの年月による淘汰に耐えられるかというと、さすがにそれはちょっと難しいんじゃないかなーと思う。」という言葉を見て、身の回りにある日常生活は昔に技術として確立された物が応用され今も使われ続けているんだよなぁと思いました。電気にしても火にしても。
娯楽も技術として確立できなかれば、一過性の物として廃れてしまうのは仕方ない事なのだと思います。
新しいアイディアというのはある日突然ふと生まれるものではないと考えていて、過去の経験、知識がきっかけとなり、組み合わさって生まれてくるものだと確信しています。
センスという言葉を使うのであれば、きっかけとなる物事の違いがセンスなのだと思います。
少しはなしがそれますが、そういう意味で過去に生まれた物を勉強する事は有益だと考えていますし、逆にその当時になった物を組み合わせられるのは今の僕たちなんだとも思っています。
技術とは努力すれば誰でも身につけられるものです。中には身体的条件も必要かもしれませんが、逆に言えば条件さえそろえば身につけられることが出来るはずです。
受身側に流行り廃りはあるのも事実ですが、それらに応えるものを生み出すには技術として確立した物を応用して組み合わせる事が大事なんだろうなと純粋に思います。
最初に火を起こしてから、現在に至るまで、いろいろな機械が作られては応用されて、また別のものが生み出されているんですから、娯楽がそうでも不思議はないよなぁと思いました。
人が心地よく感じる値は、決して感覚という言葉だけに頼ることなく理論的に理由がつくと思います。
それは人には身体的な限界もあるし、それぞれが感じる事っていうのは根本にある物は同じだと思います。
というか逆に、違うのだったら、それぞれの利益が違うんだからこうやって、町、国を作って集団を作って生活してないと思うし。
残していけたらいいなと思っているんですが、なかなか難しいなと。まとまりのない終わりで。
-
-
- -
-
Wiiで春のタイトー祭り
WiiのWiiウェアでBUBBLE BOBBLE WiiとRAINBOW ISLANDS - TOWERING ADVENTURE! -が発売されるらしいです。
・BUBBLE BOBBLE Wii
http://www.nintendo.co.jp/wii/wiiware/wblj/index.html
・RAINBOW ISLANDS - TOWERING ADVENTURE! -
http://www.nintendo.co.jp/wii/wiiware/wrij/index.html
バブルボブルの大きなアレンジ部分は4人で遊べる事のようです。
レインボーアイランドはモードの追加という感じなのでしょうか。
今作っている泡を飛ばすアクションゲームもバブルボブルのオマージュであったりしますが、いろいろな所に影響を与えたゲームである事は間違いありません。
僕はこれらのゲームがアーケードで稼動していた当時にリアルタイムで遊べなかった世代でした。
実際、自分より若い人でバブルボブルを知らないという人も多いのではないでしょうか。
パズルボブルはしっている人も多いかと思いますが。
なんらかの形で、こうして触れる物が残っていくのは凄い事だと思います。
あそんだ事の無い人は、これを気にバブルボブルに触ってみるのも良いかもしれませんね。
-
-
- -
-
地球防衛軍はむしろXBLAとかで続けたらよいんじゃないでしょうか。
シンプルシリーズをネット販売とかありだなとふと思った。
-
-
- -
-
どうもラスタンサーガとソードオブソダンが脳内でかぶって名前を間違えてしまうことが多いです。
まぁ間違えても生活には全く支障はないんですけども。